
バイオリンを始めて15年になる。
胸を張れるのは年数くらいだ。最初の2年は教室に通ったが、肩を痛めて3年間休業。その後は独学。最近は「毎日10分」がやっとである。
だから当然、うまくならない。
でも最近は思う。別に、それでいいじゃないか、と。
理由は三つある。
一つ目は、1980年のスイスで教わったことだ。
クリスマス前、バーゼル近郊の音楽学校教師でリュート奏者の大島秀文さんの家に泊めてもらった。
夕方になると、長靴姿の教え子がやって来る。爪には畑の土が残っている。
彼は静かにピアノへ向かい、バッハを弾く。

「日本では、趣味が高じてプロになる人も多いんですよ」
そう話すと、大島さんは首を振った。「趣味は、人生を支えるためにあるんだよ」
辛い日も、負けた日も、くたびれた日も、自分を立て直すために弾くのだ、と。
土のついた指で奏でるバッハは、誰かに評価されるためではなく、その人自身を生かすための音に聞こえた。
二つ目は、聴いてほしい人に聴いてもらえたこと。
一人目は母だった。
国立病院の病室でカーテンを閉め、消音器をつけて弾いた。母は驚いた顔をしたあと、バイオリンを撫でながら何度もうなずいた。半年後、母は旅立った。
もう一人は、同級生S君のおふくろさん。
「みかんの花咲く丘」と「すみれの花咲く頃」を何か月も練習して聴いてもらった。演奏というより遭難に近かったが、聴き終えたあと、こう言ってくれた。
「ずいぶん練習したんだねえ」
そして、ぽつり。「実はね、私の父、バイオリンを弾いていたのよ」
初耳だった。なぜあの日、おふくろさんが聴いてくれたのか、分かった気がした。

高校時代、文化祭のバンドでトランペットを担当した私は、本番で見事に音を外した。
そのとき「よかったよ」と笑い、おひねりまでくれたのが、母とS君のおふくろさんだった。
下手さではなく、一生懸命を見てくれた人たち。
だから、この二人にだけはバイオリンを聴いてもらおうと決めていた。その約束は果たせた。
三つ目は、自分との競争に少し飽きたことだ。
昨日より上手くなろう、去年の自分を追い越そう。
そんな競争を長いこと続けてきたが、最近は順位表をしまってしまった。
譜面台には今も、3年目に取り組み始めた「スズキメソード第4巻」が開かれたままになっている。
世の中には、驚くほど努力できる人がいる。名演奏家も、建築家も、スポーツ選手も、きっとそうだろう。
私はどうやら、そういう人間ではなかった。
だが幸いなことに、好きなことを続けるのに、才能は必須ではなかった。

それでも夕方になると、なぜか弾きたくなる。
昨日より少しだけいい音が出れば、それで十分だ。
世界は目指さない。目標達成もない。
ただ、前より少しいい音が出る。
老後の趣味なんて、そのくらいがちょうどいい。
そして時々、弓の先から、もう会えない人たちの拍手が、小さく聞こえる気がするのである。
(2026.6.5 母の命日)