
旅先で、お目当ての場所が見つからない。
ようやくたどり着いても、現実は期待ときれいにすれ違う。
そんなとき機嫌を損ねると、旅はたちまち色あせる。
風景のせいではない。先にくたびれるのは、たいてい自分の見方のほうだ。
忘れがたい一件がある。
今年の三月、亡き大叔母が新婚時代を過ごした元英国領、シンガポール・ミッドルロード218、カークテラスを訪ねたときのことだ。
九十年も経てば、面影など残っているはずがない。
それでも彼女が「いちばん輝いていた場所」と語ったその地点に、一度は立ってみたかった。
結果は、あっけないほど拍子抜けだった。
記憶につながる手がかりは何ひとつなく、ただ“いま”が広がっている。どこにでもある現在、である。
七十五歳の私には、その“いま”の上に往時を重ねるだけの勢いが残っていなかった。
想像力の衰えか、単なる歩き疲れか。気づけば、気持ちはしぼんでいた。

さて、こういうとき、どうするか。
いくつか手はある。
まず、立ち止まってひと息つく。
写真や地図で、見えない時間を補う。
誰かと言葉を交わし、別の視点を少し借りる。
音に耳を澄ませるのもいい。音は、記憶の回路を思いがけず開く。
そして何より、想像できない自分を責めないことだ。
それでも心が動かないなら、もう一歩。
「そもそも、なぜここに来たのか」と問い直してみる。
私が確かめたかったのは、建物そのものではなかった。
大叔母が「恋しい」と言った、その感情の源である。
新婚と子育ての日々。
家族や親しい隣人と笑い、泣き、少しずつ故郷にしていった場所。
そこを離れがたいという思いは、建物が消え、街並みが変わっても、しぶとく残るらしい。

不思議なことに、その感情はやがて私の中にも入り込んできた。
私にも「恋しい我が家」がある。
思い出すだけで、胸の奥にぽっと灯がともるような、家族の声がある。
大叔母の記憶をたどるはずの旅は、いつのまにか私自身の原点を照らしていた。
探していたのは九十年前の家だったのに、見つかったのは、自分の中にある“帰る場所”だった。
大叔母の「恋しい我が家」は、自然と私の我が家へとつながった。
そう気づけただけで、この旅は、なかなか悪くなかった。
(2026.3.17 旧住所探し)