
週末や連休の福岡では、もはや「遊びに行く場所を探す」こと自体に苦労する。海も川も公園も、人であふれる。ようやくたどり着いた釣り場も、竿を出す隙間すらない。時間をかけても、魚は釣れず、疲れだけが残る。大都市では、レクリエーションそのものが贅沢品になりつつある。
そんな中、息子一家は片道2時間半をかけて大分の実家に帰ってくる。しかも最低3泊。そこまでしてでも帰る理由は、はっきりしている。別府の温泉・城島の遊園地・大分港の釣り・番匠川の川遊び。田ノ浦ビーチ・登山、さらにはアフリカンサファリまで——。どこも過度に混まず、移動もスムーズで、朝から晩まで一日を存分に使い切れる。

この「実家を拠点にした遊び方」は、孫が生まれてから15年、正月や連休、夏休みと季節ごとに繰り返されてきた。帰りには、いちごやタケノコ、アケビなど、土地の恵みも一緒に持ち帰る。単なる帰省ではない。暮らすように遊ぶ、もうひとつの生活だ。
そして、このニーズは決して特別ではない。実家が遠い人、帰りたくても帰れない人は多い。福岡や北九州に限らず、関西や東京、さらには日本で働く外国人にとっても同じだ。だからこそ、「実家のように過ごせる場所」を提供するサービスには、確かな需要がある。
たとえば、大分市に、滞在と遊びがセットになった“疑似実家”の拠点をつくる。お国元の言葉が飛び交い、家庭料理が味わえるキッチンカーが並ぶ。家族で過ごし、地域とゆるやかにつながる——そんな時間を、誰もが手にできる場所だ。

面白いのは、それを迎える側の変化でもある。市民にとっては、県外や海外の人々の「実家のような暮らし」を眺め、交わること自体が新しい楽しみになる。異文化のバカンスが日常に混ざることで、大分は少しだけ世界に近づく。
こうした場が生まれれば、恩恵を受けるのは県外の人だけではない。大分に暮らす人々にとっても、新しい風となる。若者はもちろん、高齢者にとっても、「ここにはまだ未来への可能性がある」と感じられる街になるはずだ。
いま求められているのは、単なる観光地ではない。「帰ってきたくなる場所」を、意図的につくること。その発想が、大分市の次の魅力を形づくる。
2026.5.3